福井県嶺北地方のほぼ中央に位置し、東西約15.5km、南北約10.5km、総面積94.34k㎡の地籍を持っています。南と西は県都福井市、東は勝山市に、北は坂井市にそれぞれ接し、東は白山連峰を望み、四季を彩る山々に三方を囲まれた町です。町内の中央を福井県最大の河川・九頭竜川が東西に流れています。九頭竜川に平行して東西に国道416号とえちぜん鉄道が走り、南側の大本山永平寺から北に通る国道364号とが町の中央で交差しており、交通の要衝となっています。また、西部には北陸自動車道が南北に通っており、福井北ICが近くに位置しています。

 

九頭竜川が形成した扇状地では、恵まれた自然環境の中、古くから人類が生活しており、旧石器時代のナイフ形石器や縄文時代の住居跡などが発掘されています。
古墳時代になると、丘陵上に多くの古墳が造られています。中でも手繰ヶ城山古墳・石舟山古墳・鳥越山古墳・二本松山古墳は北陸最大級の前方後円墳で、国指定の史跡です。また、過去の発掘調査から、往時の隆盛と古くから人々の生活に適した風土を備えていたことがうかがえます。
時代が下がって鎌倉時代には、京都より道元禅師が志比の庄に移居され、鎌倉新仏教のひとつである曹洞宗の修行道場を開かれ、伽藍を整備して永平寺を確立されました。
室町時代には、市荒川興行寺を開いた周覚が寺院を建立し、この地方で今も盛んな浄土真宗の基礎をつくりました。
江戸時代には、徳川家康の曾孫、松平昌勝公が松岡藩の初代藩主に封ぜられ、これまでの芝原庄が松岡と命名され、5万石の城下町が形成されました。寛永12年には、「暴れ川」「崩れ川」とも異名をとるほどの九頭竜川から水を引く、小舟渡用水が完成しています。
また、元禄2年には俳人松尾芭蕉が天竜寺を訪ね、そのときの句碑が芭蕉塚として残されています。

 

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